大和谷不動尊(園部町船岡)
園部町船岡にある大和谷不動尊です。藁無地区の谷の奥にひっそりと祀られています。国土地理院発行の2万5千分の1地形図にも谷の奥へ続く破線の道と最奥に神社記号が記されていて、こんな山奥に何があるのか不思議に思った方もいらっしゃるかもしれません。正式な名称はわかりませんが、『園部町における民俗信仰伝承』には藁無大和谷に「行者堂」の名があり、『園部101年記念誌 翼』には「大和谷不動尊」と記載されています。なお、google mapでは「穴神社」と表示されるのですが、この名称が記載された文献書籍は見つけることができませんでした。
この谷にはかつて船岡鉱山と言う鉱山があり、明治~大正時代にかけて銅や亜鉛などを採掘していました。不動尊の由緒は不明ですが、園部藩主 小出伊勢守が建立したという言い伝えもあるようです。『園部101年記念誌 翼』には「不動さんの奥に鉱山があって、かな山と呼ばれ、その昔小出公の金蔵でした。この金を掘り出すのに主に罪人を使ったようです。その死人の霊を慰め作業の安全と採掘の祈願をするために不動尊をまつったらしいということです」と記載されています。
ところで、修験道や山伏というと吉野や熊野など標高の高い険しい山々を思い浮かべますが、かつてはそんな有名な地域以外にも意外と身近な山々がその活動拠点となっていて、園部と京丹波町の境を成している中央分水嶺の山域にはかつての山岳信仰・修験の活動の痕跡を今でも散見することができます。例を挙げると、園部町熊崎の都々古和気神社の鎮座する場所にはかつて熊野三所権現があって修験の拠点となっており、他にも黒田の熊野神社、観音峠の観音堂、竹井の大坂谷不動尊、京丹波町の琴滝などがあり、また、かつての山伏の行動圏には天狗の伝説なども多く残されています。当地の不動尊も、近世になって鉱山関係者から崇敬されたのは間違いないと思いますが、それ以前より修験の行場に祀られていた祠がその前身としてあったのではないかと思います。
藁無の集落から横尾峠へと続く道を進み、大きな溜池の手前から分かれて谷へと続く未舗装の道を辿ると資材置き場のようになっている広場へ出ます。そこから沢沿いに谷を詰めれば不動尊へ辿りつきますが、道は全く整備されていませんので、山を歩き慣れている方以外の参拝はお勧めしません。不動堂の隣には園部町指定樹木の大和谷大杉が立っています。お堂の格子を覗いてみると、ご神体だと思いますがひと抱えもある大きな岩が安置されています。今でも定期的に奉斎する人があるのか、お堂や大杉、磐座と思われる巨岩の下にまだ新しい仏花がお供えされていました。
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