春日神社(園部町高屋)

南丹市園部町高屋の春日神社

 

 園部町高屋の春日神社です。祭神は武甍槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の春日四神。『船井郡神社誌』によると創建は大同二年(807年)と、園部町域でも古い由緒を伝える古社の一つとして知られています。仁平二年(1152年)に平清盛の進言により桐ノ庄18ヵ村の総社として再建。江戸時代に記された『寺社類集』の高屋村の項には「産神 春日大明神」とあり、いまでも高屋地区の鎮守として変わらず崇敬されています。

 由緒に表れる桐ノ庄は室町時代に幕府の御料所(直轄地)になっていた地域で、現在の園部町内林町、曽我谷、瓜生野、熊崎、新堂、千妻、上木崎町、船岡、越方、高屋、大戸、佐切などの広範な地域に比定されています。御料所は戦乱の時代に入ると守護被官や国人などによって押領されながらも、ここ桐野河内郷は戦国時代まで継続して維持され、元々経済基盤の弱かった室町幕府にとって非常に重要な御料所の一つでありました。室町幕府は御料所を奉公衆などの将軍直属の家臣に預けて領地の経営を任せていましたが、この地を治めたのが幕府の政所執事 伊勢氏の被官であった蜷川氏です。政所執事は幕府財政・田地・民事裁判などを司る役職で、蜷川氏は政所代としてこれに深く関わっており、室町時代に幕府中枢で勢力を誇った一族でした。私と同世代の方だと、テレビアニメ『一休さん』に登場する蜷川新右衛門さんを思い出されるかもしれませんが、その蜷川氏です。(幕府の衰退と共に勢力を失い、最後は明智光秀に従って山崎の合戦で歴史の表舞台から姿を消します) 蜷川氏の菩提寺が高屋にある蟠根寺であり、寺の西側山頂には居城の蟠根寺城がありました。この蟠根寺の鎮守社が当社であり、まさに蜷川氏と共に隆盛した神社と言えます。明治初期までは、当社の神輿の渡御神事に城崎神社(国史見在社)の代表である園部内林の竹中氏・大町氏が裃をつけて参列していたそうですが、当社の格式の高さと中世の祭祀圏の広さをよく示しています。本社の本殿は重要文化財に指定されていますが、これも蜷川氏が隆盛を誇った室町時代初期の建立で、当時の様式を残す貴重なものです。

 境内には厳島神社(弁財天)のほか、宝篋印塔や2つの不明の境内社があります。『寺社類集』には末社として、妙見社、蛭子社、弁財天社の記載がありますので、不明の境内社は妙見社と蛭子社でしょうか?

 なお、当社の程近くに住頭神社という小さな社があります。これは当地の名族である高屋氏の祀った神社です。猪除けの柵に囲まれて参拝できませんでしたので、離れた場所から撮った写真をここに掲載しておきます。

 

(2023.7.8追記)

 『大堰の流れ』には「春日神社境内には、西宮神社(恵比寿さま)、足尾神社(足の神・昔から草履を奉納している)、武尾神社、厳島神社(弁天さん)の四社がある。また、神仏混淆時代のものと思われる庚申さんと言われる燈籠様の塔がある。足尾神社の裏手には、町の指定木「カゴ(鹿子)」の木の老木がある」との記載があります。不明の小祠は記載の西宮神社(=蛭子社)、足尾神社と思われます。武尾神社は参拝した際には気づきませんでした。

 後日、住頭神社に参拝することができましたので別項を設けました。

photos

石橋を渡った先が境内
石橋を渡った先に鎮守の杜
 
社頭の鳥居と神社扁額
社頭の鳥居と神社扁額
 
春日神社 拝殿
春日神社 拝殿
 
重要文化財の本殿
重要文化財の本殿
 
本殿を後ろから
どこか密やかな朱塗りの社殿
 
厳島神社(弁財天社)
神池の中に厳島神社(弁財天社)
 
樹下の不明の小祠
樹下の不明の小祠
※ 『大堰の流れ』によると足尾神社とのこと
不明の境内社
不明の境内社
※ 『大堰の流れ』記載の境内図によると蛭子社のようだ
 
宝篋印塔
宝篋印塔
※ 『大堰の流れ』記載の庚申さんだろうか
 
注連縄の張られた御神木
御神木の間に石の祭壇と平杯 遥拝所だろうか
 
高屋集落内にある住頭神社
高屋集落内にある住頭神社
 

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