菅原神社(園部町宍人)

南丹市園部町宍人の菅原神社

 

 園部町宍人の菅原神社です。祭神は菅原道真公。創祀の年代は正応元年(1288年) 『船井郡神社誌』によると、当地域は古くより摩気神社の直氏子だったようですが、後の時代に別に奉仕していた「古天神」を遷して氏神としたのがその始まりと伝えられています。『神社明細帳』には寛文二年(1662年)の創祀と記載されていますが、『船井郡神社誌』は氏神として奉斎遷座した年のことだろうと推測しています。江戸時代に記された『寺社類集』の宍人村の項に「産神 天神宮」とあり、今でも宍人地区の鎮守として変わらず崇敬されています。

 菅原神社は江戸時代には天神宮と呼ばれていたことからもわかる通り菅公を祀る天神系の神社ですが、この地に祀られた経緯として当地が中世に北野社領の一部であったことと無関係ではないと思われます。建武元年(1334年)に京都の戦いに敗れた足利尊氏は一度は九州へ落ちますが、彼の地で勢力を盛り返し、四月には大軍を率いて東上。この時、兵庫へ向かう船中にて従軍祈禱僧である北野社 松梅院禅陽に丹波国船井荘の寄進状を与えたといいます。湊川の戦いで楠木正成が敗れたのはその数日後のこと。以降、北野天満宮と室町幕府とは緊密な関係を保ち、北野社領船井荘は北野社の荘園として幕府の篤い庇護を受けました。『北野社家日記』には船井荘十一ヵ村の内の一つとして当地(宍人)の名も見えますが、宍人を本拠地としていた守護方被官 小畠氏は北野社の代官職も務めており、そうした関係もあって当地に天神社が勧請されたものと思われます。なお、『寺社類集』には「産神 天神宮」とは別に「古天神森社」の記載があり、『図説 園部の歴史』には「船井荘代官であった小畠氏の城である宍人城内にかつて産土天神宮があった」との記載もあります。おそらく、宍人城内に小畠氏が祀った古天神を集落の鎮守として現社地へ遷したのが当社なのだと思われます。江戸時代までは宮寺として船阪九品寺末の金水寺があり、九品寺の社僧が当社の祭祀を執り行っていたようです。

 宍人集落の北の外れ、本梅川に面した小さな谷の入口に鎮座。神社の前は学校のグラウンドになっていて、校舎とプールに挟まれるようにして参道が延びています。参道の先には石段があり、高台に拝殿と社務所、更に一段上がったところに本殿があります。高台から振り返ると正面に整った形の高山を望むことができます。境内には不明の小祠が二つ祀られていました。

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菅原神社の鳥居
校舎の脇から参道が延びる
 
天神宮の銘のある石灯篭
天神宮の銘のある石灯篭
 
昭和二十七年奉納の狛犬
昭和二十七年奉納の狛犬
 
参道の先に石段
参道の先に石段
 
拝殿より 一段高いところに本殿
拝殿より
一段高いところに本殿
 
菅原神社 本殿
菅原神社 本殿
 
不明の小祠 1
不明の小祠
 
紅葉の下の小祠
紅葉の下の小祠
 
本殿より 朝日を背にして正面は高山
本殿より
朝日を背にして正面に高山
 

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