大樹観音堂(園部町河原町)
園部町河原町の大樹観音堂です。園部藩の五代藩主 小出英持によって母(徳川家康の孫にあたる伊予西条藩主 松平頼純の娘)が念持仏として持参した千手観音像を本尊として建立されました。観音堂の前には古い道標が立っていて、園部から向かって右手は観音峠を越える山陰道、左手は天引峠を越える篠山街道というように、ちょうどここが街道の分岐点になっています。園部の城下町は園部川手前の上本町木崎口までとされていますが、古い絵図には山陰道に沿って並ぶ河原町の町並みが描かれており、当時の街道を行き来する人にとって、実質的にここが園部の城下町の西の外れと感じられたのではないかと思います。
元文五年(1740年)に記された『寺社類集』にはまだ観音堂の記載はなく、上木崎村の項に「川原町 △大木下蛭子社」と見え、大樹観音堂のあった場所には以前は蛭子社が祀られていたことがわかります。記載の蛭子社は今は存在していませんが、観音堂はこの蛭子社を改めて建立されたものと考えられています。大樹、大木と記されているように、この場所にはかつて樹齢を重ねた大木が立っていたようです。現在も観音堂の前には大きく横たわったような形状をした欅の大木があります。落雷と自動車が衝突した影響で根元から折れ、現在のような形になったと言われていますが、この欅が文献に記された大木のこととも言われています。かつて多くの人が行き交った場所ですが、現在は国道の喧騒から離れて静かなもの。欅の樹下には多くのお地蔵さまが祀られていました。