若宮神社(園部町横田)
園部町横田の若宮神社です。祭神は品陀別命。『船井郡神社誌』によると、 創祀の年代は不明ですが、四道将軍(崇神天皇の御代に国土平定のため北陸、東海、西道、丹波に派遣された将軍)の一人で丹波に遣わされた丹波道主命の后神を祀ったのがはじまりで、後代になって現在の祭神である品陀別命を祀ったものと伝えられています。 天和三年(1683年)に再建。江戸時代に書かれた『寺社類集』には、「下横田村 産土 正一位若宮大明神」とあり、 現在でも地区の鎮守として変わらず崇敬されています。
園部町竹井の摩気神社は江戸時代には摩気郷十一ヵ村の総鎮守として広く信仰されていましたが、この摩気神社で十月に執り行われる神幸祭では船阪地区にある御旅所へ神輿の巡幸が行われます。現在、この祭りに横田の若宮神社は参加していませんが、昭和7年頃までは若宮神社の神輿も船阪の御旅所へ渡御し、摩気神社の神輿と並んで一宿する習わしだったといいます。摩気神社の神と若宮神社の神の神婚(おそらく農耕儀礼)を表したものだと思いますが、これに関しては摩気神社のご祭神を丹波道主命とする説もあり、彦姫二神会合の縁故に由来する神事であるとも伝えられています。『式内社調査報告』は摩気神社の項で「明治二十六年一月に当社祠官 上田正延が記した「神社取調」には、祭神を丹波道主尊としているが、この説は他にみることができず後証をまたねばならぬ」と慎重な立場をとっていますし、摩気神社の祭神を丹波道主命、当社の祭神をその后神とする伝承も摩気神社の信仰圏が確立し神事儀礼が整えられる中で生まれたものである可能性もあり今となっては確かなことはわかりません。しかし、いつの時代にか当社あるいはその別当寺と摩気神社との間に緊密な関係があったことは確かだと思います。
横田地区の集落の中にあって、旧道(篠山街道)に面した明るい境内地。住宅地の中にあっては貴重な鎮守の森です。境内には寄り添うように不明の小祠が2つ並んで祀られていました。 『寺社類集』には末社として神明社、山神社の記載がありますので、あるいはこの2社なのかもしれません。今は残っていませんが、かつて別当寺として船阪にある九品寺末の若王寺が存在していました。