三輪神社(園部町横田)

園部町横田の三輪神社

 

  園部町横田の三輪神社です。祭神は大物主神。創祀の年代は不明ですが、『船井郡神社誌』には「一に天文四年(1535年)というがそれよりも古いであろう」と記されています。現在は三輪神社と呼ばれていますが、江戸時代の書物である『寺社類集』の上横田村・南横田村の項に「産神 出若大明神」とあり、かつては出若大明神と呼ばれていたことがわかります。また、鎮座地についても変遷があったようで、往古袋谷という宮山に祀られていたものを元禄十六年(1703年)現在地に遷座したと伝えられています。

 社名が変遷した経緯について気になるところですが、寛文十年(1670年)の棟札写、延宝二年(1674年)の鰐口、宝暦四年(1754年)の宝篋印塔には出若大明神、あるいは井出若大明神と記されている一方、元文五年(1740年)に記された『寺社類集』には三輪社についても言及されている(管理人抄訳 / 思うに摩気大明神末社之記に上横田村三輪社云々とあるのは当社:出若大明神のことである)こと、享和二年(1802年)の石灯籠には三輪大明神とあることから、『船井郡神社誌』 では社名が変わった時期について「元禄十六年八月現地遷座以降、元文五年頃より享和二年頃迄に三輪社に改称されたもの」と推測しています。このように、社名については江戸時代に出若大明神から三輪大明神へと変化したことは確かなようですが、そもそも『寺社類集』の言うように、出若大明神と三輪大明神は同体なのでしょうか。今となっては確かなことはわかりませんが、丹波史談会 編『丹波 第13号』の「-丹波上横田村温井・三輪社-”淨香寺縁起”の考察」という論考中に2つの説が言及されています。一つは「出若大明神の祭神が大物主神であることから有名な三輪神社へと改称された」とする説。もう一つは「三輪神社と袋谷の宮山は、奥社(山の神)と麓社(田の神)と、本来は二か所で祭られた民間信仰が想定できる」とする説になります。全くの想像にはなりますが、古くは里宮(出若大明神)と山宮(三輪大明神)が別々にあって、元禄十六年に袋谷にあった山宮が里宮(現鎮座地)に合祀されたのかな? という気がしています。摩気神社の末社に「三輪宮 上横田村」とありますので、より古くは三輪宮の方が村の鎮守と認識されており、それが合祀後の社名の変化に影響したのではないかと想像します。

 白壁に囲まれ小さくまとまった境内。高台にあって遮る物がないためとても明るい雰囲気です。本殿奥には大きな切り株が数株。樹木が生い茂っていた頃は少し違った雰囲気だったのかもしれません。境内には稲荷社と不明の小祠が3社並んで祀られていました。『寺社類集』には末社として八幡宮社、荒神社が記載されています。かつては宮寺として九品寺末の荒神山連神庵常香寺がありました。現在でも三輪神社の道路を挟んだすぐ隣に常香寺の観音堂が残されています。

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白壁に囲まれた境内
白壁に囲まれた境内
 
三輪神社 拝殿
三輪神社 拝殿
 
拝殿から社前の鳥居
拝殿から社前の鳥居 小さくまとまった境内
 
覆屋内の御本殿
覆屋内の御本殿
 
境内の稲荷社
境内の稲荷社
 
不明の境内社
不明の境内社
 

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