生身天満宮(園部町美園町)
園部町美園町の生身天満宮です。祭神は菅原道真公。『船井郡神社誌』によると創祀の年代は延喜元年(901年)。菅原道真が九州大宰府へ左遷されたとき、領地園部の代官であった武部源蔵に八男 慶能君の養育を託したと伝えられていますが、その際、園部小麦山にあった道真の別邸内に源蔵自ら菅公の木像を刻んで生祠として奉斎したのが始まりと伝えられています。左遷から2年後、道真は大宰府にて薨御。そこでこの生祠を菅公の霊廟として祀り、さらに後年、霊廟を改め社にしたのが当社となります。道真の生前より生祠として奉斎されたことから「生身」天満宮と呼ばれ、全国に数多く祀られている天満宮の中でも日本最古最初の天満宮として知られています。創建後も室町時代には足利義政の命により社領が寄進されるなど、中世を通して手厚く保護されてきました。
現在は天神山の山麓に鎮座する当社ですが、元々は西側に少し離れた小麦山の山麓に祀られていました。江戸時代になって小麦山一帯に小出氏が園部城を築城した際に現在地に仮社殿を建てて遷座され、承応二年(1653年)に新しい社殿が再建されました。園部の城下町のひとつである宮町は元々当社の門前町であり、現地へ遷座する以前よりかなりの規模を誇っていた神社だったものと推測されます。江戸時代の書物である『寺社類集』の園部村の項に、産神 天満天神宮とあり、生祠天神社とも呼ばれていたようです。園部藩主の信仰篤く、五代藩主 小出英持は当社祭礼の復興にも尽力し神幸行列の再興を行うなど、藩主の祈願所として代々崇敬されてきました。現在でも四季を通して各種祭事が執り行われ、地元だけでなく遠方からも多くの参詣者が訪れています。
園部の中心地から少し離れた天神山の山麓に鎮座しています。長い石段を登った先に本殿。由緒ある神社だけあって、境内には多くの摂社や末社、様々な姿の狛犬や十倉長者の伝説が伝わる厳島神社など多くの見どころがあります。境内には摂社として当社の始祖である武部源蔵を祀った武部源蔵社、その他に大神宮、秋葉愛宕神社、厳島神社、国定国光稲荷神社があり、末社として白山姫神社・塞神社、八坂神社・西宮神社・八幡宮、紅梅神社・白太夫神社・老松神社、稲荷神社・金比羅神社が祀られています。