厳島神社(園部町美園町)

園部町美園町の厳島神社

 

 園部町美園町の厳島神社です。生身天満宮の摂社の一つで、山腹へと続く参道の途中に鎮座しています。祭神は狭依姫命。 『福量寺弁財天観音堂縁起』によると創祀の年代は承和12年(845年)。生身天満宮の創建が延喜元年(901年)ですので、それよりも以前に祀られていたことが分かります。また、当社の創建に関して、同縁起に十倉長者の伝説が記されています。園部101年記念誌 『翼』や京都新聞社編『京都 丹波・丹後の伝説』に詳しいので紹介したいと思います。

 『昔、現在の栄町から小山西町一帯の私市(きさいち)というところに大変なお金持ちが住んでいて、大きな屋敷に蔵が十もあったので「十倉長者」と呼ばれていた。そのころ、園部小麦山の麓に荒れ果てたお宮があり、信心深い長者は「これは天女の種子である」とその付近を切り開き、池を掘り島を築いて社殿を建立し、近江国竹生島から弁財天の尊像を迎えてここに安置したところ、霊験あらたかで長者はますます栄えた』

 伝説に出てくる近江国竹生島縁起の成立は当社創建と伝えられる承和12年よりもう少し時代は下るようですが、生身天満宮でも当社を地主神と伝えていることから、生身天満宮の創建以前より園部小麦山では当社の起源となった何らかの祭祀が行われていたことは確かなのではないかと思います。

 十倉長者の伝説には、長者が亡くなる時(『京都 丹波・丹後の伝説』では「晩年贅沢をしたので、時の政府からおとがめをうけ追放された」とある)、残した金銀財宝を二本松峠にある鍋ヶ谷の”朝日さすオシャンシャンの木の下”に埋めた、という話が付随しています。長者の栄華と没落を物語る典型的な長者伝説ですが、伝説の舞台となった古代の私部(きさいちべ)に由来する私市(きさいち)という地名も合わせ、興味深い伝説です。

 生身天満宮では毎年8月の夕刻に弁天祭りが行われ、万灯会の行灯が参道を照らし夜店も出されて賑わうようです。

photos

標
社号標
 
手水舎
手水舎
 
水濠で囲まれた社殿
水濠で囲まれた境内
 
厳島神社 社殿
厳島神社 社殿
 

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