増尾山八幡宮(園部町曽我谷)
園部町曽我谷の増尾山八幡宮です。祭神は誉田別尊。創祀の年代は慶安2年(1649年)と伝えられています。『我がふるさと曽我谷』には「社の前に弓の射的場があることから、弓術の練達・上達を祈願する意味もあったようである。村人は、文武の盛んであった江戸後期より、歌や昔から伝わる弓術の一派である日置流を楽しんでいた。江戸天保年間には、八幡宮横の弓場で南桑、北桑、舟井の三郷の大会を行っていた。しかし、当時は全国で飢饉が発生していた時でもあり、園部藩の殿様よりのお叱りの文面も残っている」と記されています。江戸時代の丹波には、旧小領主・地侍層により結成された組織を起源とする「弓射連中」という仲間がありましたので、八幡宮の社前で行われていた弓術の鍛錬もあるいはその活動の一環だったのかもしれません。
曽我谷の中土井地区にある道場のような建物の裏手に祀られています。付近の森の中に少し開けた空間があり、おそらくここが『我がふるさと曽我谷』に記載のある弓場なのだと思います。小さな祠の前には新しい榊が供えられていて、今でも丁重に祀られているようでした。