白龍稲荷神社(園部町曽我谷)
園部町曽我谷の白龍稲荷神社です。祭神は倉稲魂命(宇伽之御魂神) 創祀の年代は江戸時代以降と伝えられています。『我がふるさと曽我谷』には「小高い山上の平地は、善願寺の坊跡とも思われるが、ここに小さな祠があった。その所に大蔵寺13世住職の伊東浄天師が伏見稲荷より勧請して正一位白龍稲荷大明神を祀り、大蔵寺の鎮守とした」と記されています。元々あったという小さな祠が稲荷を祀っていたものか、あるいは別の神を祀っていたものかは不明ですが、白龍の名の示す通り古くは龍蛇神・水神を祀っていたのかもしれません。なお、園部101年記念誌 『翼』には「白龍神社のたたり」と題して次のような伝説が記されています。
『曽我谷の大蔵寺の裏山の山頂に白龍稲荷のお社があります。むかし、ある時、村の若者がこの祠を足げにしたところ、長い白髪の老婆があらわれて、この若者をひどくしかりました。その後、まもなくこの若者の家では狂った人が多く出たといいます。村人たちは「お稲荷さんのたたり」だと語りつたえています』
曽我谷にある大蔵寺の裏山に祀られています。当社の鎮座する山を通称 善願寺山と言いますが、かつて、尾根を越えた反対側の谷間に天台宗寺院の善願寺が存在していました。善願寺は平安時代の創設と考えらえていて、鎌倉時代から室町時代中期にかけて全盛を極め、口碑では七堂伽藍を構えた大寺院だったと伝えられていますが、戦国の動乱の中で滅亡し、今ではその痕跡を見出すことも困難となっています。『我がふるさと曽我谷』は当地を善願寺の坊跡と推測していますが、確かに当社の境内は尾根上にしては不自然に広く人工的に削平された場所のように見えます。なお、当日は曽我谷の金比羅宮から続く道を辿って参拝したのですが、後で調べると大蔵寺の墓地から続く道が参道だったみたいです。境内や参道の鳥居は厄年の人が奉納したものです。