高山(南丹市)
※ GPS等で位置を取得している訳ではありませんので経路はおおよその目安としてください
2022年4月2日(天候:晴れ)
8:50 尾根への取り付き
9:25 行者岩 ※ 道間違いで時間ロス
9:48 高山山頂(30分休憩)
10:34 尾根への取り付き
高山について
高山は南丹市園部町の摩気地区にある三等三角点峰で、園部町の半田側からも反対の宍人側からも綺麗な円錐形の山容が目を引き、付近を通りかかるたびに気になっていた山でした。現在、高山を神体山とする神社はないようですが、半田側の山麓周辺には古墳も多く、高山の山麓を乗り越す峠の名前を神坂(こうさか)と言い、峠には米かみ岩という巨石にまつわる伝説も残っていて、なんだか歴史のロマンを感じさせる土地でもあります。高山は「たかやま」と呼び、文字通り周りの山々に比べて頭ひとつ抜けた高い山という意味だと思いますが、あるいは、元々は高山=こうやまで、神山なのではないかという気もします。
高山は古くは修験の行場になっていたようで、山腹には行者岩と呼ばれる巨岩と行者堂が残されています。『口丹波の伝説』には「高山の雨乞い」と題して高山に関する雨乞いの伝説、『京都丹波の山』には地元の方の談話として次のような話が収録されています。
『園部町で一番高い山が半田の高山である。この高山の峠、神坂峠をのぼると山の中腹に大きい岩が五つと小さい祠がある。土地の人は、行者岩と呼び、むかし、この岩で行者が修行した岩という。行者道をのぼると山の頂上に雨乞い場がある。日照りがつづき稲に被害が及ぶようになると近村が薪をもって山にのぼり、雨乞いをする。近年でも雨乞い行事がおこなわれているという。(口丹波の伝説)』
『高山の中腹に行者の祠があって、行者講があってね、行者信者がほら貝を吹きながら登ったもので、子ども達も後からぞろぞろついて行ったものですよ。昔は川で行をしてからお参りしたものですが…。(京都丹波の山)』
古くは神坂峠から山頂に続く道があったようですが、国土地理院の地形図には登山道の記載はなく、南丹市のウェブサイトでも「高山は、南丹市園部町宍人(ししゅうど)区にあります。地元小学校の児童らが登山するのに合わせて登山道を整備されるそうで、整備されていない時期もあるようですので、誰でも登れる一般向けの登山道ではありません」とあります。時期によっては宍人側から登れるようですが、半田側の道や行者堂がどうなっているのかまではわかりません。春の陽気につられて、『京都丹波の山』の記録を参考にしながら高山に登ってみることにしました。
① 尾根への取り付き
半田の集落の中にある杉の巨木(一本杉)を脇に見ながら神坂の峠道を登り、麓から三番目のカーブにあるカーブミラーの手前が登山道の入口。路肩の斜面から山の中へ分け入る小道が続いています。植林帯の中にしっかりした道が続いていたのでこれを辿っていったのですが、しばらく進むも何かがおかしい。本来、歩き始めてすぐに南西の尾根に取りつくはずですが、コンパスを取り出してみると南に進んでいて、周囲も明らかに谷状の地形。しかたがないので来た道を引き返してみると、登山道の入り口からわずか数メートルのところから尾根へと続く道が分岐していました。こちらの方が道幅が狭く、草木に覆われていて絶妙に分かりにくい。『京都丹波の山』には「右隣の谷にも道が付いているが、こちらは道幅が広いが途中で消えているので、尾根の道が正解らしい」としっかり記述してあるのですが、右隣というのを登山道に向かって右側のことだと勝手に思い込んでいました。よくよく考えてみると、右隣とは地図の北を上にして右隣、つまり、東側の谷ということだったようで、まんまと間違った道を進んでいたわけです。こうした大きな道に対して直角に分岐する小道は見落としがちなので注意しないとですね。
① 尾根への取り付き ~ ② 行者岩(行者堂)
登り始めは溝状に深く抉れた山道が続きます。しばらくは緩い登り。ところどころ倒木が煩いので溝の中より脇の斜面を歩いた方が楽かもしれません。徐々に傾斜が急になってきて、山道の溝も浅くなってくると周囲は明らかな尾根状の地形に。そのまま進むと道がなんとなく右側にカーブしているような箇所があり、ここが行者岩への分岐になります。『京都丹波の山』には「少し下りになる地点」と書かれているのですが、明確に下っているわけではないので少し迷う箇所かもしれません。一応、分岐点にある木の幹には色褪せた赤いマーキングテープが巻かれていて、分岐を行者岩方向へわずかに進んだ先には、目印でしょうか、赤い壊れかけの境界杭が刺さっています。そこから先は斜面を北側にトラバースするように道が続き、わずかな距離で行者岩にたどり着きました。
② 行者岩(行者堂)
山道の先に少しだけ開けた場所があり、大きな2つの岩の間に小さな祠が祀ってあります。祠の中には安永六年(1777年)と彫られた古い行者像。かつては雨乞いの信仰があり、行者講の信者が列をなして参拝したという行者堂。行者講が現在まで続いているのかどうかわかりませんが、山道の様子を見る限り、今では時折物好きな登山者が訪れるくらいなのかもしれません。当然誰とも出会うことなく、密やかな空間を独り占め。行者岩は想像していたよりもずっと大きく立派で、この場所に居ると春の陽気も手伝ってか不思議な充足感に包まれます。
② 行者岩(行者堂) ~ ③ 高山山頂
行者岩からもと来た道を戻るものの、分岐から先は傾斜が急になり道径も不明瞭に。あとは山頂まで登るだけなので適当に斜面を突き進みます。今は草木も芽吹く前なので大丈夫ですが、これからの季節は藪がうるさそうです。この辺りは露岩も多く、山頂直下には行者岩とは別の大岩も。そこから山頂まではわずかな距離です。
山頂には三等三角点の標石があり、地元の小学校の学校登山で登られているようで学校名の入った銘板も置かれています。山頂の北側は樹木が刈り払われていて眺望も良く、眼下には園部町大西の集落や、園部の名刹 九品寺の山門も確認できます。東側には園部町の口人から口司地区に連なる谷筋とその向こうには火伏で有名な京都の愛宕山。しばらく景色を楽しんだあと、来た道を引き返して下山しました。
山頂までの距離は大したことがなく、道さえ知っていればあっという間に到着してしまうような小さな山ですが、肝心の道の方が整備されておらず岩場で急斜面の箇所もありますので、低山ながら歩き慣れた人むけの山かと思います。なだらかな山容なので尾根が判別しにくく、山頂から下る方向には特に注意が必要かもしれません。山頂からの眺望も良く、歴史深い素晴らしい山だと思いますのでこのまま忘れ去られてしまうのは少々寂しい気がします。もう少し道が整備されて行者堂にも参拝しやすくなるといいのですが… なんにせよ、自分も歩き始めから道を間違え、これは先が思いやられるなあという感じのスタートでしたが、無事に行者岩までたどり着けて満足の山行になりました。
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