大坪八幡宮(園部町大西)
園部町大西の大坪八幡宮です。祭神は品陀別命。園部町大西は大坪村と西山村が合併して誕生した地区で、かつては本梅川を挟んで左岸に西山村、右岸に大坪村があり、今でもそれぞれの地区で八幡宮を祀っています。江戸時代に書かれた『寺社類集』の大坪村の項にも「産神 正八幡宮」と記載されていて、当社が古くから大坪村の鎮守として祀られていたことがわかります。
『ふるさと大西』によると創祀の年代は室町時代の天文元年(1532年)で、元文五年(1740年)に改築、さらに大正6年に本殿共に改築して現在に至ります。『船井郡神社誌』によると、創祀以前は摩気神社(式内名神大社 麻氣神社)の直氏子であったとされ、摩気神社の分社であるとする言い伝えもあるようです。摩気神社との関係や創祀の経緯などは旧西山村の西山八幡宮と同じであり両社の由緒はよく似ています。創祀の年代こそ西山八幡宮の方が古いのですが再建年は天文十九年(1550年)であり当社の創祀と同年代です。『ふるさと大西』には「西山八幡宮が再建された天文19年は、室町時代足利義晴の時で、世は戦国乱世の時代で群雄割拠して、人心は不安の世の中であっただけに、人々は国の平和と生活の安定を願う心が極めて強く、神仏の加護を祈ること切なるものがあった。この時代は何れの地域においても、神社の再建または創祀が多く行われた」とあるように、大坪村と西山村の両村において同時期に鎮守社の創祀や再建が為されているのは全くの偶然ではなく、信仰心はもちろんのこと、中世以降の村や宮座の発展や変化などを共通の時代背景としてその機運が高まった結果と思われます。なお、当社も西山八幡宮と同じく摩気神社を総鎮守とする摩気郷十一ヶ村のうちの一社としてその例祭に参加しています。
府道から本梅川にかかる橋を渡ったすぐ先、土手に隣接して境内があります。鳥居の前は庭園風の小さな杜になっており、境内の植栽も整えられていて地区で大切にされている様子がうかがえます。本殿左手奥に境内社として厄神社、山王社、塞神社の小祠が祀られていました。