水天宮・天神宮古跡(園部町宍人)
園部町宍人の水天宮です。戦国時代に当地を治めた小畠氏の居城跡に祀られています。
小畠氏は宍人を拠点とした中世の国人領主で、丹波守護 細川氏の被官となり北野社領船井荘の代官職などを務めた実績から織田信長や明智光秀にも重用され、丹波攻めの際にも重要な役割を果たしました。小畠氏の居城であった宍人館は戦国時代末に小畠越前守により築かれた城館で、技巧を凝らした縄張りは織田政権のもとで最先端の築城技術が取り入れられた結果と考えられています。時代は下って江戸時代の元和五年(1619年)、園部藩の初代藩主 小出吉親が但馬から当地へ転封された際にも、所司代 板倉勝重の勧めにより小畠氏を頼って宍人に滞在。この時、仮に建てられた居館跡が宍人館の北側に残されています。吉親は入部当初宍人に城を築く構想を持っていたようですが、それも当地が小畠氏の拠点、つまり船井荘の政務の中心地と認識されていたからに他ならず、中世の当地の重要性を伺い知ることができます。最終的に、小出公は現在の園部に城下町を築いて宍人から移りますが、その間、影で支えた小畠太郎兵衛も250石で召し出されて園部へ移り、激動の戦国時代を生き抜いた小畠氏は藩士として幕末までその名を存続させました。
水天宮は宍人館の東側の沢奥に祀られています。祠の崖下には柵のつけられた水路のようなものも見え、おそらくこの沢の水源になっているものと思われます。また、宍人館の東端の曲輪の一画に「天神宮古跡」と呼ばれる場所があります。『図説 園部の歴史』には「船井荘代官であった小畠氏の城である宍人城内にかつて産土天神宮があった」との記載があり、鎮守の菅原神社の社伝にも「別に奉仕していた古天神を遷して氏神とした」とありますので、ここが菅原神社の旧社地である「古天神」のあった場所だと思われます。
宍人館は小畠氏が園部に移った際に廃城となっていますが、今でも当時の遺構がしっかりと残っていて歴史が好きな方なら必見の場所です。なお、城跡内には「越前墓」と呼ばれる一画があり、周囲を土塁で囲った中央に小墳丘を持つ遺構が存在します。その名の通り、小畠越前守の墓と伝えられている場所なのですが、なんらかの祭祀遺跡のようでもあり少し気になる遺構です。