モリサン・諏訪神社(園部町仁江)

南丹市園部町仁江のモリサン

 

 仁江地区では蛭子神社を集落全体の鎮守として祀っていますが、もう少し小さな集団、丹波地方に広く分布している「株」と呼ばれる同族(苗)組織で祀っている小祠も数多く存在します。その一つがこちらの「モリサン」で、『京都府の地名』の下新江村の項に詳しいので以下に引用したいと思います。

「同族集団を株というが、当地の岡株の本家は中世の地侍の裔で、屋敷裏手にモリサンの水とよぶ湧水がある。昔、落武者がここまで逃げてきてこの水を飲んで死んだと伝え、村内で重体の病人にこの水を飲ませる風習があった。湧水近くに諏訪明神を祀る小祠があり、岡株本家では地主大権現と呼んできた。モリサンとは、株ごとに大木を山ノ神ともいって祀るものである」

 また『摩気春秋』は前記の『京都府の地名』の説明を引用したうえで、

「仁江区内には、岡株の「モリサン」の他に株ごとに岩石や大木を山の神として祀っている。鎮守の森として「モリサン」は親しい名前であるが、「森さん」か「杜さん」か「守さん」かよくわからない」

 と続けています。古くから祀られているもののようで、江戸時代に編纂された『寺社類集』にも、

 □ 山神 無社  境内四間三間 郷民徳佐衛門支配之

 といったように、村内に5つの山神と大梵天王森社、天神社の名が記されています。いずれも郷民支配となっていますが、個人で祀った屋敷神のようなものではなく、おそらく株組織共同で祀っていたものなのでしょう。社名の頭に付けられた□符号は「無社森」であることを表していて、元々は小さな祠すらなく、特定の樹木や岩石を依り代に森そのものを祀りの場としていたものと思われます。こうした森を中心とした素朴な祭祀の形態は「森神信仰」などと呼ばれて西日本を中心に全国的にも認められ、私の地元の島根県石見地方にも大元神、出雲の方では荒神森といったモリ神の信仰があります。最近ではこうした小規模な祭祀は衰退しつつあるようですが、『寺社類集』に記載された園部藩領の村々に祀られていた神社のうち、いわゆる村の鎮守である産神が97座に対して、無社森は354カ所にも及び、いかに多くの神が森を祭祀の場として祀られていたかがわかります。森神信仰は民俗学的には古くから議題にあげられているテーマの一つで、多くの論考や書籍が出されていますので、興味がある方は調べてみると面白いかもしれません。当地のモリサンにしても、同族組織で祀っていることから共通の祖先に対する祖霊信仰のようにも見えますが、水源や湧水に対する信仰、土地の神に対する信仰、祟り神・御霊のような性格などいろんな要素が絡んでおり、実態はなかなか複雑です。少し気になるのは、本社の場合、小祠を諏訪社と称している点です。関東では比較的身近に祀られていた印象なのですが、ここ丹波では諏訪神社は少数派で、神社の境内社としてもほとんど見かけることがありません。単純に諏訪大社からの勧請ということではなく、何か祀っている神の性格が表わされているような気もします。園部町船岡に祀られている大杉稲荷神社は諏訪の森と呼ばれている場所にあり、元々は諏訪明神森社を祀っていたのですが、こちらも森神的で当社と同じような性格が感じられます。

 仁江集落の中ほどを流れるイヤ谷川沿いの道を少し遡った森の中にひっそりと鎮座しています。諏訪神社の小さな境内の入口には、大蛇のように曲がりくねった藤の大樹が門のように立っていて、『摩気春秋』は「諏訪明神の御神体が竜蛇であるということと関係があるのではないか」とその関係を推測しています。意図的に植えられたものなのかどうかは不明ですが、水を好む藤の木がここまで成長する土地であることもまた当地の神の性格の一端を表しているのかもしれません。

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小さな石段の参道
小さな石段の参道
 
諏訪神社の小祠
諏訪神社の小祠
 
森の中に木漏れ日が落ちる
森の中に木漏れ日が落ちる
 
藤の大樹が門を成す
藤の大樹をくぐって境内へ
 

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