朝倉神社(園部町千妻)
園部町千妻の朝倉神社です。祭神は天之忍穂耳命。創祀以来の伝承なのかは不明ですが、この辺りでは比較的珍しい御祭神です。江戸時代に書かれた『寺社類集』の千妻村の項には、産神 朝倉大明神とあり、当時は村の氏神として朝倉大明神と呼ばれていたことがわかります。『船井郡神社誌』によると創祀の年代は永禄十二年(1569年) 今でも地区の鎮守として変わらず崇敬されています。
当社の境内には京都府指定の天然記念物になっている杉の巨木が立っています。これに関して神社に残る古文書には、天保十年(1839年)に千妻村の人々がこの木を御神木とするために園部藩から十両二分で買い受けたこと、当時の幹回りが一丈五尺二寸(約4.6m)だったことなどが書かれています。『図説 園部の歴史』には十両二分という額について「目安として文化・文政期頃においては、一人暮らしの男性が贅沢をしなければ、三両で一年間生活できたことを考えると、決して安価な額とはいえまい」と記しています。村全体での負担と考えてもなかなかの額で、当時の人々の信仰心の篤さを伺い知ることができます。境内に掲げられた案内板には樹高約30m、幹回り9m(昭和59年時点)と書かれてあり、現在では江戸時代から更に倍ほどの大きさにまで成長しています。昨年は落雷に伴う火災などもあり、近年樹勢に衰えも見えはじめているようですが、これからも長く生き続けてほしいですね。
千妻(せんづま)集落の外れ、背後の山から延びる尾根の先端部に位置する岡崎という場所に鎮座しています。なお、当社との関係は不明ですが、尾根を挟んだ反対側の曽我谷地区の地名を朝倉といいます。地形からすると朝倉=浅い谷の意味でしょうか。神社入り口の短い石段を登ると苔むした参道が延びていて、その先に小さく整えられた境内。本殿の奥に聳え立つ杉の巨木が目を引きます。ご神木は二股に分かれていて、中央には黒く焼け焦げた跡も。度重なる落雷などにも遭遇しつつ、地区の人々に大切に扱われながら今日まで力強く生き続けた姿は圧倒的です。境内には不明の小祠が2つ。この小祠を指しているのかはわかりませんが、『寺社類集』には末社として蛭子宮、山神宮の名前が記載されています。また、本殿脇の石段を登った先に虚空蔵菩薩を祀った小祠もあります。虚空蔵菩薩を祀る地域ではウナギを食べないという風習がしばしば見受けられますが、当地域でも同じ風習が伝わっているそうです。