武尾神社(園部町大戸)
園部町大戸の武尾神社です。祭神は武甍槌命。『船井郡誌』によると創建は元亀二年(1571年) 『船井郡神社誌』では文明元年(1469年)の創立で、元亀二年(1571年)に再建とあります。園部町大戸は江戸時代に大戸村があったところで、文明元年、あるいは、元亀二年といった中世後期には村の鎮守として現在のような社殿が整えられたとものと思われます。武尾神社の本殿もこの頃の遺構を残した貴重なもので、京都府登録文化財に指定されています。神社境内の掲示板には以下のような解説が記載されていました。
「本殿は一間社流造、こけら葺で東に向いている。建物の様式から判断して、元亀二年創建時の遺構と考えらえれる。享保十九年(1753)と安永六年(1777)に改修されているが、全体に古い材料が良く残っている。特徴としては、あまり類例のない形の木鼻や、初原的形態を示すとも見られるきわめて緩やかな曲線の海老虹梁が挙げられる。室町末期に建立された古材のよく保存された一間社流造の遺構として重要である」
「虹梁とは、柱と柱の間に架け渡した梁の一種で、流造の場合、母屋と向拝をつなぐ部材を”繋ぎ虹梁”という。繋ぎ虹梁は、元々は真っ直ぐな部材であったものが、時代の変化とともに湾曲し、装飾性をもつものが造られるようになった。こうした湾曲した姿を虹に見立てて虹梁の名がある」
大戸集落の背後へ延びる尾根の先端部に鎮座。尾根の上部には中世の大戸城があり、武尾神社に隣接する南東山裾には城主の館があったと伝わっています。なお、大戸地区の鎮守ながら神社の所在地は隣接する園部町高屋字片山となっています。(もっとも参道の入り口は大戸になりますので、地区の境界の際にあたる土地です) 高屋と大戸は昔から繋がりが強かったようで、大正時代頃までは、春日神社の氏子は初詣にまず氏神様へお参りし、その足で武尾神社へ参拝していたそうです。また、例祭では武尾神社の神輿は春日神社の境内に入り、春日神社の神輿と挨拶の儀が済むまで降ろして休憩しない。春日神社の境内には、特別の事由のない限り、武尾神社の神輿以外は入らない。御旅所では、春日神社氏子より御膳一膳を武尾神社氏子列座の所へ送り神輿にお供えするなど、春日神社と武尾神社は深い関係にありました。
集落内を通る道から砂利の敷き詰められた参道が延びており、石の鳥居の先に小さくまとまった境内。本殿の脇には、おそらくお稲荷さんと思われる小祠が祀られていました。
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