旧版地図で見る新堂・熊崎・瓜生野の神社・地蔵・石神
上図は明治45年発行の旧版1/20000地形図です。江戸時代には東西に長く延びる平地の北側山麓に沿って岡田村、新堂村、 熊崎村の3村が、 周囲を丘陵に囲まれた小盆地に瓜生野村がありました。古くから開けた場所だったようで、新堂集落の谷奥にある新堂池を馬蹄形にとり囲むようにして古墳時代後期の新堂池古墳群が存在し、熊崎集落から北西に延びる谷の奥に数基の円墳からなる熊崎古墳群、集落南東の小丘に熊崎墓地内古墳群などが残されています。 また、瓜生野にも現在の集落をとり囲むように古墳群が見つかっています。
地図の北~西には標高400m前後の山々が連なっていて、北部は南丹市合併前の園部町と日吉町の町界、西部は園部町と京丹波町の町界で桂川水系と由良川水系を別ける中央分水嶺にもなっています。といっても、それらの地域と隔絶していた訳ではなく、古くは集落奥の谷から山越えの峠道が伸びていました。
地図には4つの鳥居記号が見えますが、それぞれかつての村々の鎮守の社です。いずれも集落の後背地にあって、家並と水田を見守るような位置に鎮座しています。熊崎の都々古和気神社の鎮座する位置には、かつて神仏混淆の熊野三所権現が祀られていました。神社背後の山を王子山といいますが、ここには昔、天狗が住んでいたという伝説があり、天狗の腰かけたと伝わる大岩を麓からも望むことができます。古く神の鎮まる磐座として崇められたものなのでしょうか。あるいは、かつてこの辺りの山々を山野修行の場としていた修験の活動の名残なのかもしれません。
南丹市の地蔵・石神12(園部町瓜生野)
園部町内林から瓜生野へ抜ける峠道の途中に祀られていました。(旧版地図 A位置) 行政区分では瓜生野になりますが、峠付近の微妙な位置にあるので、もしかすると内林町のお地蔵様なのかもしれません。 「打首地蔵」と少々物騒な名前のお地蔵様ですが、この場所は通称「平山」と言い、藩政時代には処刑場のあった場所で、実際に刑が執行されたことが記録にも見えます。
祀られているお地蔵様の台座には「天明八年(1788年)戊申八月」とあり、正面には「無縁法界」と刻まれています。引き取り手のない罪人の魂を鎮めるために祀られたものなのでしょうか。園部教育委員会『石造物調査』には、「燧谷の下屋敷にあった牢獄から番人つきで引き出され、この平山刑場にやってきた罪人は、荒縄でしばられ、死刑の番が来るまで松の木にくくられていた。罪状が検視の役人の立会いで読みあげられると、腕ききの侍がさっと首を斬り落とすのである。おそらく「南無妙法蓮華経」を唱えながら、石地蔵に向かって手を合わせたのであろう」という伝承が記載されています。
打首地蔵と並んで六地蔵が祀られており、その先には古い埋め墓のような跡地がありました。今では陽光が差し込む明るい場所で、かつて刑場だった面影は全くありません。
南丹市の地蔵 ・石神13(園部町熊崎)
瓜生野と熊崎の町界付近に祀られていたお地蔵様です。 (旧版地図 B位置) 地蔵祠の中に祀られていたもの以外にも、古い舟形のお地蔵様や五輪塔などが一箇所にまとめられていました。地蔵祠の直ぐ後ろは高速道路(京都縦貫道)です。もしかしたら、京都縦貫の高架敷設に伴って元の場所から移されたものなのかもしれません。
南丹市の地蔵 ・石神14(園部町熊崎)
熊崎の普賢寺近くの畑の片隅に祀られていました。 (旧版地図 C位置) 小さな祠ですが、台座は立派で丁重に祀られているようでした。
南丹市の地蔵 ・石神15(園部町熊崎)
熊崎集落の最奥部に祀られていたお地蔵様です。 (旧版地図 D位置) 近くにお住いのご年配の方に伺ったところ、古くは少し道を進んだ京都縦貫の高架の下あたりに祀られていたもので、道路工事の際に現在の位置に移されたとのことでした。 現在、この先は行き止まりになっていますが、かつては京丹波町の市森や琴滝を経由して玉雲寺に出る峠道があったようで、「今では通れるかどうかはわからないが、昔は学校の遠足でも使われていた」とのこと。こちらのお地蔵様も、かつてはそうした峠を行き交う人々をそっと見守っていたものと思います。
南丹市の地蔵 ・ 石神16(園部町熊崎)
熊崎地区の共同墓地に祀られていたお地蔵様です。 (旧版地図 E位置) 六地蔵や五輪塔など、様々なお姿の石仏が祀られていました。熊崎地区ではかつて両墓制(死者の埋葬地(埋め墓)と墓石を建立する場所(参り墓)を区別する習俗)がとられていたようで、こちらはかつての埋め墓だったようです。埋め墓には木製の卒塔婆や目印となる石を置く程度で、よく見る墓石が立ち並んだ墓地とは異なり独特の雰囲気があります。熊崎の墓地は、集落の外れの小丘上に設けられていて、一面に草地が広がる明るい雰囲気の場所でした。なお、ここには3基の円墳からなる熊崎墓地内古墳群も残されています。単なる偶然だと思いますが、古墳のあった場所が後に墓地になるというのも面白い話ですね。